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坦々とした日々の中で、特別な事はできなくても、いつもとちょっと違った新しい何かに挑戦したい!そんなあなた様を応援したいと「Blog KUMEPIT ときど記」を開設しました。
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河内村生活が人生の半分を超えた [グルメ]

世の中は
一字違いで
大違い
過疎地」の冬は厳しいけれども
河内」村は今日も元気だ

河内村での生活が、とうとうKumepit人生の半分以上になった。改めて前半を振り返ってみよう。
葉の隠で(葉隠県)生まれたKumepit は2才か3歳の時親父の転勤で「上海」へ、多忙なお袋に代わってお手伝いさんに可愛がられた(そうだ)。
敗戦後(終戦後ではない)葉隠れへ戻り、付属小・中学校、永城を経て福岡県久留米に通学、汽車と電車を乗り継いだ。
初就職は熊本県荒尾市、寮生活。休日は隣りの福岡県大牟田市の叔母さん宅でお世話になった。
転勤で岐阜県笠松市へ、やはり寮生活。休日は名鉄で柳ケ瀬へ。「柳ヶ瀬ブルース」が流行った頃だ。
兵庫県姫路市の兄弟会社へ出向、寝言事件を起こし退社。
再び葉隠れへ戻り、地元の企業に就職するも一日中T定規を持ってドラフターと睨めっこ(設計)の仕事に飽きて退職。
大阪市湊町の会社に就職し念願の浪速っ子となる。会社が枚方市の企業団地に移転のため、新工場の建設業務に携わる。新工場完工と共に、退職。必死に慰留されたが、△△はしたくない!
請われて「創業のS社」へ、20年間「開発部長」を勤めた。毎年、香港・星港・泰国・韓国へ出張、延べ30回は下らないと思う。アジアに多くの知古が出来た。
19▽▽年リストラで退職、Kumepit 社設立、今日へ至る。

81120-23.jpg

今朝は当然「河」である。パーツの集合場所で口が空いてるが、これはKumepit の口が開いたからだ。

 


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